歴史は匂いでつくられる

金井美恵子

冬になって地元産のにんじんが安く出回るようになると作るのがにんじんケーキ。栗原はるみレシピが定番で「まぜまぜするだけ」の作業なので朝の片付けのついでとか、夜ご飯のついでに作っておいて、翌日からのパンがわりとなる。にんじんケーキを焼きながら、今朝は金井美恵子の『噂の娘』(講談社)を読み始めた。

発売されてすぐ単行本で買ったのにそのまま読まずにきてしまった、数ある本のうちの1冊。帯には「映像<イマージュ>と言葉の類なき結晶」とある。読み始めて、映像もそうだけど、そこからくる匂いに圧倒される。

今夜だけではなく、明日の夜も、もしかしたらその次の日も、家には帰らず、化粧品やシャンプー剤の花とレモンとオレンジの混ったような匂いに、コールド・パーマ液のむせるようにいがらっぽい化学薬品の匂いと、仏壇のお線香の匂い、お線香と火鉢の灰と炭とお茶と煙草と着物の布地に染みついている樟脳と伽羅と日本髪に結った頭の髪油の混った匂いのするおばあちゃんや、いつもおばあちゃんに抱かれているので、長い毛皮におばあちゃんのにおいが染みついているのだけれども犬臭いにかわの匂いのする狆や、若い娘たちの生あたたかく酸っぱい体臭や、濡れた洗濯物に残っている粉石鹸の匂い、台所にこもっているというか古い床板や壁や天井に染みついている味噌や漬物や煮物や油の匂いが家の空気のなかでまぜこぜに攪拌されて、夜になると床や畳や家具の上に、そうした匂いがひっそりと降ってきて溜り、匂いはそうして、多分、動物のように柔らかくのびて寝息をたてるから、猫とか犬みたいに眠っている時のほうが匂いが強くなり、匂いが濃くなってますます奇妙な感じのする、この家にいることになるのだろうか、(p27)

読んでいるそばから、にんじんケーキが焼ける匂いも漂ってきて、頭の中はこれらの匂いがまぜまぜになってまさに渾然一体のカオス状態となる。