なんだかなの日々

先週、まだ読んでいなかった川上弘美のエッセイ『なんとなくな日々』を読んでいたら、春のおぼろげな夜の話題からはじまっていて、ちょうど、読んでいるときは少し寒さがやわらいできたときだったから、なんだかシンクロしているようで楽しかった。でも、その後、また寒くなる。三寒四温。春の兆しだろうが、もうすっかり寒さに飽きているので、なんだかな。なんとなくな日々 (新潮文庫)

経験も実績もうんと豊富にあるはずの人なのに、後輩が出張にいったりすると、「悔しい、むかつく」という。後輩が自分のよりいい思い(?)をするのが気に入らないらしい。どこまでも自分中心の人である。「悔しい、むかつく」なら、それを心にしまって努力すればいいだけのことではないか、と、偉そうにも思ったりする。そういう先輩のぐちをきかされるのに、いいかげん、なんだかな。

もうすぐ震災から1年。連日のテレビ報道をみて、まだまだ知られていないことがたくさんあるし、知ったほうがいいことがたくさんあることに気づく。自分ができることは限られているし、できる範囲のことをすればいいとは思っているけど、それでも、自分の未熟さ・微力さを感じて、なんだかな、と思う。

矢野顕子さんが今日リツイートしていた記事で、「最近のJ-POPの歌詞 翼広げ過ぎ 瞳閉じすぎ 君の名を呼び過ぎ 会いたくて会えなさ過ぎ 私弱すぎ 桜舞いすぎ 親感謝されすぎ 季節めぐりすぎ 君のこと考えすぎ もう一人じゃなさすぎ 大切な人居なくなくなりすぎ」というのがあって、思わず、そうだ!と思う。しかし、一歩間違うと、原発のこととか、震災のことなんかも、こういった表面的な薄っぺらなinnocent worldに行きそうな感じがして、すこし、怖くなる。