足りないのは、詩情だった。

夏休みを取る前は仕事を消化するのに忙しく、夏休み中はゆっくりするつもりだったのに思いがけない葬儀と通院で忙しくなり、夏休み後は夏休み中の仕事の遅れを取り戻すのに忙しくなってしまった。あわただしい夏、暑い夏。

元気がなくなってきたときには、ときどき詩が読みたくなる。今日もたぶん、なんとなく疲れていたんだろうな。買い物帰りの本屋さんで小池昌代さん編著の『通勤電車でよむ詩集』(NHK出版生活人新書)を手に取り、「はしがき」を読んだら、それだけでもう涙が出てきた。

詩の言葉は砂にしみ込む水のように、疲れたからだにしみ込んできた。思いがけない行につまずいては、涙がとまらなくなった経験が幾度もある。人目があるから恥ずかしかったが、詩の働きはポンプに等しく、感情を地下から汲み上げる。泣こうとして読むわけではないが、図らずも泣いた。我知らず泣いた。自分ひとりでなく、誰かと共に泣いているような感覚があった。
(中略)
バッテリーが、あがりそうだ。ちょっと無理して走ってる。無理しないで、と人は言う。でも生きるって、どこかでどうしても無理をすること。誰かに無理を通されることもあるし、無理のなかでもみくちゃになることではないか。
(pp14-15)

ときどき詩を読みたくなるときがある。そんなに読んできているわけではないので、自分にあったナビゲーションをしてくれる人がいると嬉しい。ねじめ正一によるNHK人間講座テキスト『言葉の力・詩の力』や井坂洋子『ことばはホウキ星』(ちくま文庫)のおかげで詩に関してはずいぶん助けてもらった。小池さん編著のオビの言葉。「次の駅までもう一編。足りないのは、詩情(ポエジー)だった。」はちょっと感傷的すぎかな。