すべて緑になる日まで

もみじ、ヤマボウシ、シャラ

落葉樹が幅をきかせている庭なので春のこの時期は劇的な変化を遂げる。2週前までは結構寂しげだったのにいまやGREEN、GREEN、と歌いたくなるぐらいの緑。私はこの時期がかなり好きだけど、会社の先輩に言わせると「景色が変わって気持ち悪いし雨が多くて鬱陶しくてイヤ。2月ごろの清潔な感じが一番好き」なんだそうで、まあ、人それぞれ。しかし緑は疲れ眼にはいいよね。

吉田健一のメロドラマといっていいのか『本当のような話』を読了。先日金井美恵子『小説論 読まれなくなった小説のために』を読んだら、気分がすっかりメロドラマに傾き、『ボヴァリー夫人』も『アンナ・カレーニナ』も実は読んでいないし手元にもないしということで吉田健一を選択。

何一つそれまでと変わっていなくて凡てがそれまでのようでないというのは経験しなくては解り難いことである。民子はただそれを感じていてそれが間違いないことを知っていた。それまで民子は自分に就て自分という一箇の人物を作り上げていたことに気が付いた。別にそれが理想とか目標とかいうもので自分をその通りに仕立ててその型に嵌めようとしていたというのではなくて自分との付き合いで何か気になったり気になることを予想したりする毎にぶつかる自分というものが民子の頭の中で時とともに或る形、或いは或る一定の癖や長所、弱点を持った人間の恰好をしたものになって行ったのでそれがただ意識に上ることを民子の方で受け留めているだけだったからそれを自分の前に据えて見ることもせず、その為に一層それは民子にとって民子という自分になっていた。(p133、134)

元伯爵夫人の民子が貿易商の中川と一夜をともにした後の場面。こういうところがものすごくメロドラマっぽくて好き。