すべては1冊の本から始まった

文学を探せ

舞踏会へ向かう三人の農夫写真への旅 (光文社文庫)先週図書館で借りた本を返却するための今週の読書。坪内祐三『文学を探せ』(文芸春秋)はすごく楽しみながら読んだ。内容に個人的なこともちょっと書かれていたのでついついワイドショー的な興味から神蔵美子『たまもの』(筑摩書房)も借りてしまう。濃い関係だ。写真が日付入りのスナップで荒木経惟を意識している感じ。しかし、人生が凝縮されてるなあ。以前なら拒否反応を起していたと思うけど、この歳になると「そんな愛もあるかもしれない」と思えるようになるから不思議。人生経験を積んでわかってくることがあるのかもしれない。平行してリチャード・パワーズ『舞踏会へ向かう三人の農夫』(みすず書房)を読む。おもしろい。

我々は写真の向こうを漁ってまわる。「ここにどんな世界が保存されているのか?」と問うのではなく、「私はこれを保存した人間とどう違うのか、ここに保存された人間たちとは?」と問いながら。他人を理解することは、己の自己像を修正することとは不可欠だ。二つのプロセスはたがいに呑みこみあう。写真が我々を惹きつけるのは、何よりもまず、写真が我々を見返すからだ。
 リチャード・パワーズ『舞踏会へ向かう三人の農夫』(みすず書房

読み終わってから、荒木経惟『写真への旅』(光文社文庫)を読む。先週だったと思うけど、『週刊文春』の坪内祐三の推薦の文章がとてもよかったので即買いした。「私写真」のアラーキーはこう言う。

被写体は、すべて鏡です。あなたの厚化粧はどんどんばりばりはがされて、あなたは裸顔裸体になってしまいます。写真は、裸体でやらなければいけません。裸体で、シャッターをきらなければいけないのです。
荒木経惟『写真への旅』(光文社文庫

荒木経惟の『センチメンタルな旅・冬の旅』を久々に本棚から出す。『たまもの』は『センチメンタルな旅・冬の旅』をかなり意識して作ったんだなあと思うと坪内祐三から始まってアラーキーでぐるりと一周したような1週間。