救済の女神

吉祥寺に住んでいる友達に会いに行く。ランチは公園近くのイタリアンで。前菜からデザートまで地元の食材を使ったやさしい味を堪能する。

往復の道のりは星野博美『銭湯の女神』を読んだ。この1週間は、会社の仕事に対してモヤモヤしたものを抱えたまま過ごしていたが、金曜日になって、自分が上手く人に伝えられずにウツウツと抱いていた違和感を、ある上司が的確な言葉で表現しているのを聞いた。上司は感覚的には自分と近い位置に立っている。しかし、上司はそれを人にわからせることが出来るが、私には出来ない。『銭湯の女神』の解説で中野翠さんがこう書いている。

銭湯の女神 (文春文庫)

著者はつくづく「無意識」の力が強い人だなあと思う。日々の生活の中で、ふと心をよぎったヘンな気分、名づけられない感情、曰く言いがたい感覚に執着する。こだわる。立ちどまって、注目し、考えて、言葉にしていく。無意識を意識にまで浮かび上がらせる―。その工程というかプロセスに鋭さと粘りがあるのだ。だから文章に「実(じつ)」がこもっている。

仕事でもおんなじかもしれないと思った。私には鋭さも粘りもまだまだ上司の足元にも及ばない。