ウィスキーを抱いて本と泳ぐ

昨日の夜、本を読んでいて寝違える。床にクッションを広げてごろんと横になり、ときどき右に左にと姿勢を変えながら読んでいただけなのに、なにをどう間違えてしまったのか、とにかく首筋を痛めてしまった。1日経ってもまだ治らない、痛い。

しかし、この週末は久しぶりにのんびり本を読むことができて楽しかった。土曜日の午前中は、左官屋のおじさんが和室の壁を塗りなおすために来ていたので、作業を横目でちらちら確認しながら村上春樹『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』(新潮文庫)を読む。ファンというわけではないので、村上春樹がウィスキーについて書いている本がある、ということを最近初めて知り、アイリッシュのジェイムソンを愛飲している身として興味をひかれたんだけど、良かった。村上春樹は、大学生のいち時期好きだった先輩がファンで、その先輩にはちょっとすかした感じがあり、そのすかした感じが私のなかで村上春樹とイコールとなり、以来、村上春樹には、すかしたイメージとそこからくる気恥ずかしさがまとわりつくようになり、積極的に読もうとは思っていなかったのだ。でも、ちょっと前には『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』も読んでしまったし、なんだか、すかした感じだの照れくさいだのというものに対するアレルギーも薄まってきた感じ。

猫を抱いて象と泳ぐというわけで『もし僕らの・・・』に、すかした匂いをまったく感じなかったといえば嘘になるんだけれど、でも良かった。グラス一杯のウィスキーの向こうにアイルランドの緑が広がっているって、そんなふうに思いをはせながら飲めるのは本当に幸せだと思う。

日曜日の午後には、小川洋子『猫を抱いて象と泳ぐ』を読む。これもすばらしく良かった。『ブラフマンの埋葬』の舞台を思わせる静かな田舎町が感じられるところも大好き。