主人への詫び状

morinori2008-06-02

前日、久世光彦向田邦子のことを書いた『触れもせで』をブックオフで買ったので、なんとなく向田邦子を読み返したくなり、うっかり『眠る盃』をカバンに入れてしまったのが失敗のもとだったかもしれない。朝の電車のなかで最初から順番にページを繰っていくと、わりと最初のほうに「字のない葉書」と題されたエッセイがでてきて、泣ける話だってわかっているのについつい読んでしまい、つり革につかまっている私の向かいに座っている人が熟睡していることに感謝しつつ、充血した眼をハンカチで押さえて出勤するところから、今週は始まった。

「字のない葉書」は向田邦子さんのお父さんが、まだ字の書けない妹さんが疎開先から安否を知らせることができるように託したものだったけど、そうでなくても向田さんのエッセイにはお父さんの手紙の話がちょこちょこと出てきて、父からの手紙をほとんどもらったことのない私にはちょっとうらやましい。

母は筆まめだけど、父はめったに手紙を書かない人だったので、父の亡くなった今、手紙と呼べるものは全然残っていない。唯一今でも持っているのは、小学校にあがったばかりのお正月に、父だけが仕事の付き合いで台湾に旅行に行き、そこから家族一人一人に出してもらったハガキが一枚きり。それも照れ隠しなのか本当に手紙苦手なのか、片面が台湾の有名なホテルの写真になっているありきたりの観光ハガキに「HAPPY NEW YEAR!」とボールペンであっさり書かれているだけで、なんともそっけないものだったけど、父が書く文字ですら普段はめったに見たことがなかったので、宛名に書かれた自分の名前が母の書く字とは違って少し丸っこく愛嬌があるのに、なんだかくすぐったいような不思議な気持ちがした。

向田邦子のエッセイを読むと、向田さんの記憶力のよさにこちらもつられて、なんだか昔のことをつぎつぎを思い出してしまう。思い出にぼーっと浸っているうちに、瞬く間に就業時間は過ぎ、ロシアに赴任する友人の送別会にあわてて駆けつけたけど、そこでもなんだか調子が出なくてついついお酒だけを飲み過ごし、月曜日からだんなさんの小言をいただく羽目になってしまった。