今更ながらの目標

新しい年になって早くも半月が過ぎた。昨年は後半が忙しくなって余裕もなく体調も不調のまま過ぎてしまったような気がする。年が明けても仕事は変わらないが精神的に少し余裕が出てきた。そうはいっても上司とはそりが合わないし(目を見つめないで話す)、今は風邪をひいたりしてどことなく低飛行です。

今日は明日が大雪だなんて信じられないほどの暖かさ。猫十字社の漫画『小さなお茶会』のもっぷに倣って、ひなたぼっこしながら、面白い本を読み、美味しいお菓子をつまむという「好きなことの三段重ね」を実行。内田百輭が読みたくなってちくま文庫内田百輭集成『サラサーテの盤』を読む。ちくま文庫の集成はブックオフで見つけては買っているけど、まだ全部は揃っていないし、入手巻を全部読み通しているわけではないけど、それでもやっぱり好きな「とおぼえ」とか「サラサーテの盤」を繰り返し読んでしまうなあ。そうだ、今年は、百輭を読んでいくのを目標にしよう。

ここのところEテレでやってる『ねほりんぱほりん』にはまってます。先週の「トップオタ」はすごく面白かった。「鍵締め」って初めて知ったよ。なるほど勉強になるなあ。

お久しぶりです

お久しぶりです。

ブログもかなり久しぶりなのだが、最近高校、大学時代のクラスメイトとの交流が復活することが頻繁で、「お久しぶりです」で始まるメールやSNSメッセージを何回送ったことか。いろいろあって大学時代の学科の同窓会幹事を引き受けることになり、名簿管理をしなくてはならなくなったので、それもあって「お久しぶりです」がかなりヒートアップ。携帯に「お」と入力すれば「お久しぶりです」が出てくるよ。でも25年会っていないとか、同じ高校だったのに話したことなかったとか、そういう状態であっても、同窓っていうだけでなんとなく話すことがあるというのは、いいよね。過去を美化して懐かしむ意図はないけど、そういう関係、私は決して嫌いじゃないです。

さて、職場環境にいろいろ変動があって、今はあまり本のページをめくる余裕がなく、ここに読書のことを書けないのが残念。TVはあれこれしながら観られるんだけど、読書は没頭したい。でも没頭できる余裕が今の私にはない。そう考えると、好きな本を読める生活って贅沢だったんだなあって思える。うーん、贅沢は夏休みまでお預けかなあ。そのためにももう少し頑張らないと。

台湾のからすみ

春が来た〜と喜んでいると、今日のように寒い日もある。しかし早起きして映画。有楽町まで『クーリンチェ少年殺人事件』を観に行く。

1992年の公開時には見ていないので、これが初見。主人公の少年がかわいいというか、青いというか、ああ、14歳ってそういう身勝手な年頃だよなあ、といまさらのようにドギマギしてしまう感じ。きらきらした部分と闇の部分がまじりあって自分でもコントロールできない混沌とした世界がすごく身につまされる青春映画だった(それだけじゃないけど)。4時間という時間をスクリーンの前で過ごすと、外に出た後も自分がどこにいるか分からなくなる。幸いなことに、通勤経路でもあったので、そのまま地下鉄に乗り、ぼーっとしたままパンフレットを読みふけっているうちに(その間の乗り換えも無意識)、自宅の駅に着いたのだった。

夜、だんなさんが今月初旬に行った台湾旅行のお土産のからすみを炙ってお酒のおつまみにする。ねっとりとしておいしいからすみ。食べながら台北の街並みを思い浮かべ、お酒をすすってはチャン・チェンとリサ・ヤンの二人が草の上で仲良く寝ころんでいたシーンを反芻する。もう一口からすみを食べては、チャン・チェンがお父さんと自転車を並べて歩くシーンを思い出し、さらにお酒をすすっては、少年たちが会談に座って録音機をあれこれいじっているシーンを思う。

結末はビター

珍しく2週続けて映画館。先週はスコセッシの『沈黙 サイレンス』を観て、今週は『LA LA LAND』を観る。ライアン・ゴズリング、私は『スーパーチューズデー』でしか観てないような気がするが、この映画の彼はチャーミングでとてもいい。楽しめるいい映画だ!

帰りに寄った本屋さんで原田治さんの最後の著作となった『ぼくの美術ノート』(亜紀書房)を買う。前作にあたる『ぼくの美術帖』をみすず書房版で読んだクチだが、それ以来、OSAMU GOODS以外の原田さんが気になり、ときどきブログを覗いては邪馬台国に傾倒する意外な一面を発見したりしたのだった。『ぼくの美術ノート』でも、小村雪岱北園克衛、鉄斎、と好きなものを変わらず並べているところに潔さを感じる。服部一成氏による装丁もすっきりしていて、とても素晴らしい。でも、もう新しいものが読めないのかと思うと、ちょっと悲しくなった。

ビールと映画

先輩から「迎賓館赤坂離宮なんだけど、予約制の和風別館に行くはずだった人が急遽来られなくなったので行かない?」とお誘いをいただき、願ってもないことなのでありがたく話をお受けし、行ってきました。お天気はいいし、庭は広くて気持ちいいし、洋館はゴージャスだし、面白かったな。和風別館は、京都の平等院のようなものを思っていたのだが、意外とシンプルで拍子抜け。でも、いい散歩になったし、なにより隣の大学に4年間通っていたのに一度も行ったことがなかったので、行けてよかったです。帰りは中華屋さんでビールと餃子と牡蠣ソース和えそば。うまい。

月曜日には新宿で『ヒッチコックトリュフォー』を観た。ウェス・アンダーソンマーティン・スコセッシなど10名の監督がヒッチコックと映画を語り、残されているトリュフォーによるインタビュー音声とヒッチコックの映画のシーンで構成される、言ってみればただそれだけの映画なんだけど、とても面白い。スコセッシ監督が「『めまい』は最初、どんなストーリーなのか曖昧で自分にはよくわからなかった」と言っているところなんて、そうそう私も!と深くうなずく。『定本 映画術 ヒッチコックトリュフォー』(晶文社)、実は読んでいなかったので、今読んでます。すごーく面白い。

how to catch cold

バルト9

年末からの風邪が一時よくなったかと思ったのもつかの間、先週出社したら悪化してしまい、いまだに治らず。いい加減しつこい風邪である。

矢野顕子の名盤『SUPER FOLK SONG』の収録の様子をドキュメンタリー映画にした『SUPER FOLK SONG〜ピアノが愛した女。〜』がデジタル・リマスタリングされたので3連休初日、ユザーンと砂原良徳トークショー付きの上映回に行ってきた。公開当時は見逃したものの、その後テレビの深夜放送だったかで観て、さらに2000年ぐらいに銀座のレイトショーで観てるので、今回3回目だと思う。最初観たときは、矢野顕子って怖い、と思ったが今となっては慣れてきたので怖さよりも凄さが身に染みる。今から25年も前の映画になってしまったけど、このときにしかない音色、この時代の矢野さんの姿をいい形で残せたっていうのは本当に貴重だと思う。『ユリイカ2017年2月臨時増刊号 総特集 矢野顕子』も素晴らしい。熟読。

具合があまり良くないのでぐずぐずとお布団に入ってアンソロジーの『〆切本』(作品社)を読む。高田宏が編集者として依頼した画家から、理不尽な仕打ちを受けるくだりがある。高田はそれが忘れられず後年、画家の死を知って思わず「ザマアミロ」と思う。全体を通して、〆切に遅れがちな作家による言い訳のような文章が多いなかで、この高田宏のの「喧嘩」と、その前に収められた川本三郎の「編集者をめぐるいい話」(ここでも高田宏の「喧嘩」のエピソードが語られる)が際立っていた。

2017年

何とか新しい年を迎えることができました。年末は最終営業日である29日夜に風邪をひき、大みそかにちょっと復活したものの、元旦からまた調子が悪くなり、今朝は旦那さんを初詣に送り出し、私は箱根駅伝をひとりテレビ鑑賞中。

昨年は矢野顕子デビュー40周年で、数えてみたらライブだけで12回行った(ライブ以外のイベントにも2回参加)。還暦を過ぎてこんなに精力的に活動してくれるとは予想していなかったので昔からのファンとしては嬉しい限りでありました。本はあまり読めなかったけど、マルグリット・ユルスナールの自伝的三部作世界の迷路『追悼のしおり』『北の古文書』『なにが? 永遠が』が読めたのが良かったのと、講談社文芸文庫『個人全集月報集 武田百合子全作品 森茉莉全集』をきっかけに森茉莉の面白さ再発見!となって盛り上がれたのが良かったなあ。文芸文庫はさらに年末に小沼丹『木菟燈籠』も発売されたので、これは5日からの通勤の楽しみにとってあります。

今年はもうちょっと時間を見つけて読書したい。そして今年こそは家の中を片づけたいと思っているところです。こういうことを年賀状に毎年のように書いていたら、とうとう母からの年賀状に「毎年の目標は達成しているのかしら」と書かれるようになってしまった。いろんな意味で折り返しているんだし、出来ることはちょっとずつでも達成していきたいというのが今年の抱負です。がんばるぞ。